ぼっちがぼっちざろっくを観て。
こういうアニメの感想とかを発信できるようなツールを一切やっでおらず、
全話視聴後、誰かに語りたいモヤモヤ感がずっと続く中、数年前に書きっぱにしてたこのブログの存在を思い出して
タイトルから急カーブしておりますが、この度ちょっと利用させていただきました。
誰も来ないこんなとこで誰に言ってるんだという文体ですが、誰か見てるって想定の方が書きやすくて←
語彙も足らず、また思慮も浅いですが20数年ぼっちにとっての感想をよかったらぜひ…
まずOPから語りたいんですけど、凄いですね(早速語彙力)
とっくのとうに、いろんな方が言われてるでしょうけど
サビに入るまでの前半パートというんでしょうか、日常アニメならではの家族や仲間の軽めな自己紹介が入る、やわらかくかわいい描写が続きます
初見はかわいい絵柄なのに曲がカッコよくて、少し違和感を覚えました。
そして後半パートのサビ入り。曲の盛り上がりと共にOPの流れも一変!
まるでバトル系アニメのような熱いのにスタイリッシュなOPに変化していったのは衝撃でした。
いわゆる、バトル系アニメにありがちな〜…みたいな表現も多数あったので、狙ってやったものでしょうけど
意外とこういうOPは無かったような気がします。まどマギのコネクトとかもそうかな?ただ雰囲気はシリアスだったので…
廣井きくりがキマってるとこを伊知地姉の手が遮るとことか、よくライバルかラスボスがやってるやつって…
各話については、多分リアルタイムでこういうのやった方が良かったんだろうなと…
細かなニュアンスとか、観ながらじゃないと流石に頭から引っ張り出せそうにないのでやめておきます←
ただ最終話、ギターの弦も視聴者の涙腺も切れてしまったあのシーンなんですが
喜多さん、漫画だと(弦の尾が!?)的なことおっしゃってて
初見の際、ひとりを視界の端でちらちら見て(バンドという共同作業では必須のスキルなんでしょうが)
困ってるひとりを見ても表情を崩さず、最初は本当に見てるのか?見えてても何が起こってるのか喜多さん分かってないんじゃ…とストロングに汚染された脳が震えてたのですが
そうなんですもう、凄かったです。(また)
サビに入る前の顔つきとか声色、あと歌詞も含めてもう。
アニメ化にするにあたって、その喜多さんの心の声は逆にノイズになると判断された方に、もう。
ぼっち(ひとりの事ではなく、自分含め世間に多数存在する人の事)という生き物は、コミュ症も大体併発しております。
故に最低限のキャッチボールで済ませたがる傾向にもあったり。
それなのに何故か接客業をやってる人は、ひとり曰く台本をたくさん作って持ってたり、自分を変えようとする素晴らしい人です。
自分は前者の方で、他に卓越したスキルも無いので就いてる訳ですが。
現場に出てるとき、客への対応は台本でなんとかなる場合が多いが
他者=一緒に働いてる人には、台本にないことを聞かれることが多いのでそれが1番悩みです。
甘えかも…というか甘えですが、喜多さんのように全て察してそれを繋いでくれるような方はひとりにとっても世間に転がるぼっち達(なんか矛盾)にも、まさに女神のような存在なんですよね。
話が脱線しましたが、喜多さんのその空間把握能力並びに空気感把握能力。
表情を崩さなかったのはひとりにさらにプレッシャーをかけない為。そもそも心配してなかったんだとは思います。後藤さんなら…と
最初の印象は直前で逃げ出すし、ミーハーな陽キャギャルな印象しか無かったんですけど
ここまで心根に刺さるようなキャラ、自分にとって久しぶりでした。
作画に関してもボーカルなだけありますが、製作会社の渾身というのも感じて。
「忘れてやらない」の何・回・だって♪の振り付け?アドリブ?がもう素敵で。
かと思えば、「星座になれたら」では歌出しからしっとりとした表情で歌い上げて、サビ終わり付近では喜多さんの表情しか映ってないのにものすごく満足感がね…
「星座になれたら」でもういっこ、満場一致のハイライトは喜多さんが繋いでひとりの機転が生んだあのシーンだと思いますが
個人的、というかぼっち(自分のこと)的にはその後の喜多さんのボーカルとギターソロ?が入ってひとりが小休止するところです。
あの溜め息のような呼吸、喜多さんにちらっと視線を移す仕草
ライヴシーンということもあり、アニメならではの世界の時を止めて行われる心の声も使えない。
しかしあの小休止の間は全世界のぼっち達に刺さるものがあるんじゃないかなと。
コミュ症や陰キャって、台本っていう表現に現れてる通りこちら側で無駄に想定してしまう、つまり考えすぎてしまうことが多く。
そのイメージで脳内の容量も切迫してしまい、行動も要領良く行えなくなる…んだと自分なりに思います。
ゆえに、接客業でいえばちょい大きめのトラブルだったりをなんとか解決したとき、少し気持ちの良い脱力感があったりします。
余計に考えてたことが一切、その対応で抜けてしまって、そしてその対応に持ってったメモリも無事ことが終われば用済みなので、空きが出ます。
けれど現場は生きてるので、対応が終われどまだまだ続く。
よっこらしょと腰をあげてまた事務所から現場に出ないといけません。が不思議と出たくねぇなという気持ちにはならないんです(多分これは自分だけ)
ひとりも、いつまでも脱力の余韻に浸る訳にもいかない。ライトを見上げてるとき、喜多さんにチラッと視線を移したとき、下を見上げたときにも様々な心の声があったんだと思います。
それを補完するのはなんか解釈ズレを悪化させそうなのでやめときます…
サビにまた入るときのひとりの弾き出し、続く切れた弦などの場面カット
そこから上述した喜多さんのサビ締め…うん、良かったです。
そこから日常回?が始まり、EDはあのカバー曲。自分はバンドは知ってたのですが曲は知らなかったので悔しかったですね…
EDが終わって最後のひとりのひと言。
ぼっち達(これはひとりも含める)は自己顕示欲が強いことも多く、内向的というか内考的な部分が強く
だからこそ悪く言えば妄想癖、良くいえばロマンティック。
こういうことが起こるかともしれないという、ネガティブ思考、けど自分の機嫌が良いと急にポジティブになったり。
でも現実はそんな劇的に変わらない。けれど、その一言は結束バンドに入らなければひとりからは出なかったセリフなんですよね。多分
絶望してるような雰囲気もなく、あるがままの日常を今日も往く。
日常系の最終話の締めとは思えんですけど、納得した終わり方でした。
二期もぜひ見たいなぁ…劇場版とかやらないかな…
書いててとっ散らかりました。やはりアウトプット苦手ですね…
他にも容量がオーバーフローしたら、自分でもなにしでかすか分からない行動をするとか
いくらテンションが上がってても直談判は出来ない
演奏中のひとりのように、何かの作業へ集中しきってる時はテキパキ動ける
周りをよく見るので、居ない人がすぐ分かるなどなど…
ぼっちあるあるも語りたかったのですが、そこはまぁぼっちによっても程度があるし、様々なのでまた別の機会があれば…
もしこんな辺鄙なのとこを覗いてくれる方が居ましたら、否定的でも肯定的でもコメくれると嬉しいです。やっぱり肯定的だと嬉しいです…
またアウトプットの練習でなんか書きたいと思います。全然この感動伝えきれてないし…
とりあえず一旦、お疲れ様でした。